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創業者が語る──日中IT業界の違いを生かして発展するMBPのスタイルとは

中国MBPグループの創業者であり、MBPジャパンの代表取締役を務める朱 峰(しゅ ほう)。 創業から2020年現在まで、MBPグループは時代に応じて会社を変化させながら発展し続けています。 起業から今日まで起こった変化の背景と、日中で事業を行っている視点から考える両国のIT業界の違いについて語ります。

起業に失敗、勉強のために日本の大学院へ

▲ MBPジャパン 代表取締役社長 朱 峰

MBPグループの創業者である朱は、中国の北京で生まれ育ちました。 幼いころからの、好きなことを深く研究する性格は今も変わりません。将来の夢は、有名な武術家になることでした。

朱 「当時北京の治安はあまり良くなく、自分の身を守れるようにと中国武術を勉強し始めたことがきっかけでした。 一番心得があるのは太極拳です。 太極拳の原理を深く研究したことがあり、大人になった今の性格にも影響しています」

そんな朱は、MBPの起業の前、一度起業して失敗した経験があります。

朱 「大学時代に専攻していた機械設計の仕事に就き、2年で退職して起業したのですが、経験不足によって失敗しました。 もっと高いレベルの知識が必要だと感じ、技術を学ぶために日本留学を決意しました」

起業の失敗が来日のきっかけでした。

1990年4月、大阪府立大学院に入学。画像処理の研究題目で3年間勉強し、修士を取得しました。

大学院を卒業した1993年はちょうどバブル崩壊の年。 大手企業はほとんど採用募集をしていなかったため、卒業後は日本の中小企業に就職します。 それからおよそ7年間、日本の企業でCAD補助、機械制御、流通関係のソフト開発に従事しました。

朱 「もともとはバリバリの技術者だったんですよ。当時はC、Pascal、Delphi、DBはBtrieveやOracleなどを使用していました。 当時ITのインフラ環境はまだ発達していなかったので、コンピューターの組み立て、ネットワークの設定、ルーター通信やファイヤーウォールの設定なども自分でやっていたんです。

技術の研究が大好きだったので、勤務時間内だけではなく家に帰ってからも勉強していましたね。技術だけでなく、流通、物流領域などの業務知識についても勉強していました」

そして2000年11月、36歳のとき中国に帰国。上海で「現代商友軟件有限公司(MBP)」を創立します。

朱 「当時勤めていた会社の現場で、日本IT人材不足の問題を深く実感しました。 そこで、中国人のIT部隊を構成したところ、パッケージの研究開発やプロジェクトの完成といった多くの実績を達成することができたんです。

その時に、中国でIT人材を育てて、日本IT市場に高品質、低コストのサービスを提供すれば、大きなビジネスへつながっていくのでは、と考えました」

中国企業でありながらも、文化は日本企業と同じに

▲ 創立10周年の2015年には、マカオで記念パーティを行いました

MBPを上海で起業した当初のメンバーは6人。前職の後輩がほとんどでした。その中には、現在もMBPグループに在籍しているメンバーもいます。

朱 「2000年の中国は、まだ日本よりかなり遅れていた時代です。給与水準や生活水準が低く、創業しやすい時期でした。 IT業種に対する国の優遇政策もあり、安いコストで優秀な人材の確保ができたので、非常に優位であると強く感じていたんです。

逆にIT開発の経験が浅いことで、品質や納期確保などに問題が多く、その方面についての意識教育にはかなり苦労しましたね」

MBP上海をつくる時点で日本法人の設立を考えていた朱は、起業当初からメンバーに日本の商業文化を教育しました。 そのため、日本のIT業界で働いた経験のあるメンバーを集めたのです。

朱 「私が考える日中の一番大きなビジネスギャップは、社会常識と信頼関係です。 日本で仕事をしたとき、日本人の社会常識の高さ、日本の企業間の信頼関係などに驚きました。

日本でビジネスをする以上、メンバー全員が日本の商業文化を身に着ける必要があると感じました」

朱は、日中オフショア事業の歴史には5つの段階があると話します。 その第四段階(2005~2012年)では、中国のオフショア会社が日本に上流部隊を構築し、自ら市場を開拓していくスタイルで成功する企業が多くありました。

朱 「会社経営にとって、明日を読める能力は極めて重要です。 MBPはオフショア第四段階を事前に読めたので、このタイミングで日本に大きく展開することを決めました。 2020年現在はこれからの段階を読んで、戦略調整を始めているところです」

そして2006年、日本法人としてMBPジャパンを設立します。 MBPジャパンはオフショア開発の起点となり、中国のMBPグループと連携して多くのプロジェクトを成功させてきました。

オフショア開発は低コストで多くの人員を確保できるというメリットがある一方で、コミュニケーションギャップや、相手国の文化への理解不足が懸念点として挙げられます。 しかし、MBPグループは創業当初から日本の企業文化にこだわり、公用語も日本語です。 日本企業とのビジネスギャップがないことも、MBPグループが発展した理由のひとつであると話します。

朱 「MBPジャパンはMBPグループの機関車です。MBPジャパンをつくったことで、MBPグループは日中オフショア第四段階の勝者になることができました。

この日本で成功した経験をそのまま中国でも生かせるのではと考え、2011~2013年の間にチャレンジしてみたのですが、結局は失敗でした。 両国の商業文化、歴史背景、業務基礎などが違うことで、日本での経験がそのまま通用しないことを実感しました」

為替変動で収益激減、中国TIZAグループへ傘下入り

朱 「わたしはMBPを大きな会社へ発展させ、上場させる夢を持っています。

2012年には台湾株式市場への上場準備をして、証券コードも取得しました。 しかし同年の後半から急速に円安が進んだことで、日中オフショアのような輸出企業はコストの上昇にともない、利益が激減したんです。 円安はこの後も長期間続いたため、MBPは自力で上場する道に行き詰りました」

上場は難しくなったものの、将来に向けて会社を発展させたいと考えた朱は、2019年にMBPグループを中国の天澤(TIZA)グループに傘下入りさせることを決意します。

TIZAは、中国でIoTを活用する企業の中で最も早く上場した企業です。IoT技術だけでなく、ビッグデータ、AIなど最先端の経験を蓄積することが狙いでした。

朱 「上場の夢が果たせなかったことは悔しいですが、中国の諺で“謀事は人、成事は天”と言われています。やった過程だけでも意味がありますね。

> TIZAの持つ技術やノウハウをMBPグループに導入したことで、MBPグループ各社の伝統的なオフショア業務は、最新技術を活用する業務へと転身が始まりました。

また、TIZAグループは上場企業ならではの資金力の強さがあるので、日本市場を拡大していく支えにもなっています」

TIZAグループの傘下で、グループ企業ならではのメリットを受けてさらに発展するMBP。 最近は中国と日本の両方で、DXに関わる仕事が多いと話します。 MBP上海では2018年に創新発展事業部を立ち上げ、MBPジャパンでも2020年にDX推進事業部を立ち上げました。

朱 「たとえば、浙江省の某大手ファストフードチェーン店が巡回業務に苦労していた問題があったのですが、DXで簡単に解決できました。 東北の某温泉ホテルでは水の温度と品質の管理に苦労していましたが、これもDXで簡単に解決しました。

伝統業務領域にデジタル化を適応すると、以前にない新しいITサービスを生み出すことができるので、とてもおもしろいです」

日中IT業界の特徴と今後──100年企業をつくるために

▲ MBP上海オフィスにかけてある“照顧脚下”

朱は日本と中国のIT市場の違いについて、日本ITの進化は冷静で慎重、中国ITの進化は荒々しく発展が速いことが特徴であると話します。 日本市場はビジネスモデルが成熟しているので、その分新しい技術の導入には慎重。 逆に中国はさまざまな面において先進国との距離があるので、新しい技術の採用が国策となっているためです。

朱 「2018年のEnterprise Web Solutionで、株式会社NTTデータイントラマートの中山 義人社長と“なぜ中国はデジタル化が急速に進んでいるのか”という議題でパネルディスカッションをしました。

その中で、『なぜ中国でスマホ決済が広がったのか』という質問に対して、わたしは『中国は偽札が多いから』と回答しました。 参加者はみんな笑いましたが、回答は事実です。 中国人が賢いか悪いかは別として、偽物をつくるのは上手です。 政府の力でも偽物を制限することはできなかったのですが、スマホ決済が広がってから偽札は自然になくなりました」

また、中国の商業環境は日本より競争が激しいとも話します。 ひとつの応用技術が出ると、多くの会社が参戦して競争します。その中で残るのは、最も成熟した技術だけです。

朱 「この日本と中国の違いは、MBPにとっては良いチャンスです。 中国で成熟した技術や成功したソリューションを日本に導入すれば、日本市場でもう一度市場開拓ができます。 逆に、日本で成熟したビジネスモデルを中国で適切な時期に導入すれば、同様に良い事業を立ち上げることができるからです。

日本は2030年に、IT人材は70万人、普通労働人口は500万人足りなくなると言われています。 DX事業を通して一部は解決できますが、人員不足の問題はますます深刻化するでしょう。

そんなとき、外国のIT人員の導入は一番確実な解決手法です。 MBPグループは人材育成の組織があるので、少しでも役に立ちたいです。 MBPが日中間の架け橋となり、国際相通の業務体制の構築や、両国の発展に貢献したいですね」

今後もMBPは新しいビジネスにチャレンジし続け、100年の歴史を持つ会社にしたいと話します。

朱 「定年後は“MBP創業史”という本を書いて、創業の喜びや苦しみ、日中の文化の違い、成功の秘訣などを若い世代に伝えたいです。 でもまだまだ頑張っていかないといけないので、足元を固めて一歩一歩進んでいきます。

好きな言葉はたくさんあるのですが、わたしの考えを一番反映している日本の古い言葉に“照顧脚下”というものがあります。 創業時期にこの言葉を毛筆で書き、今もMBP上海のオフィスにかけています。

足元を固めれば、自然に進みます。会社もそう、人生もそうです!」

日中の発展を願う朱を筆頭に、MBPグループは日中で手を取り合いながら、一歩一歩進んでいきます。100年続く企業を目指して──

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